若造のチームメイト
- tfkes16
- 2017年6月15日
- 読了時間: 5分
こんばんは若造です。。
一週間の更新できていないがありましたがこれからまた更新していこうと思っています。なかなか時間がなく記事が長文なので、、、。他のサイトを見ていると暗い話が、、、。明るい話題を振りまきたいところなのですが、、、。暗い記事ばかりにならないようにしていきたいです。そんな当サイトと若造を今後共よろしくお願いします。
今日は、若造の高校のときのチームメイトの話をしたいと思います。若造の高校のサッカー部は、弱小もいいところでした。実際引退するまで、大きな大会の公式戦では一回も勝てなかったです。サッカーのレベルは、おそらく小学生が見ても驚くレベルではないかと思います。我がサッカー部には、レギュラー争いが存在しません。経験者を寄せ集めさらに高校からサッカーを始めた子を一人出してなんとか11人でした。そんなチームのサブのメンバーには、初心者の子もいました。それでも、若造の学年は、入部した子は11人でした。サッカー経験者が半分でした。しかし、時がたつにつれ、一人また一人と退部していきました。その中には、学校を去っていった子や、友達同士で一緒にやめた子、いろいろな子がいました。若造は、勝てないことよりもチームメイトが減っていくことが一番つらかったです。そんな中、若造と一緒にサッカー部であった子達には、未だに感謝しています。
私立だったので授業数が多いクラスが有り、若造の同期も殆どがそのクラスでありサッカーの部活の時間は限られていました。同期の授業数が少ない子がキャプテンをやっていましたが、その子だけで後は後輩ばかりで練習をしている時間もありました。半年ほど過ごし、若造たちは高3になってすぐ部活を引退しました。なので、一年下の後輩は、大変だったと今になって思います。さらに二学年下の後輩をほとんど知らないです。そんな若造チームメイトには、個性あふれる選手が居ました。
サッカー部をやめなかったメンバーには、学力で学年一二を争う奴や、卒業後二浪しても医学部に合格した奴、一人だけ授業数が少ないからキャプテンを任された奴、サッカー部を二ヶ月遅れで入部してきた奴、初心者なのにサッカーに詳しく筋が良いのですぐ試合に出されていたやつ、キーパーをやっていてちょっと太っているのにフィールドをやりたがる奴、足は速いのにやたら体力がない奴、全員別々の人です(笑)。そして、そんな先輩についてきている後輩もいました(笑)。ちなみに若造は、サッカー部を二ヶ月遅れで入部したやつでした。そんな奴らですが、サッカー部をサボること無く毎日練習はしていました。さらに顧問の先生は、最後に挨拶をするだけの事が多かったです。
試合になると顧問の先生にダラダラしすぎだと言われ、試合には負けてばかり、それでも若造の学年はサッカー部を辞めなかったです。裏で顧問の先生は、ボロカスに言ってましたが、、、。しかし、若造はその顧問の先生にも感謝しています。その顧問の先生のお陰で部活として成り立ち、試合の時の道具の移動やマネジャーの送迎、登録や試合を組んでくれたりしていたのですから、、、。やはり、若造の学年はそれを理解していたのかもしれません。誰一人、もうみんなサッカー部やめようぜとは、言い出さなかったです。
そんな若造の弱小サッカー部でしたが、一二年後急成長を遂げます。それは、推薦で選手を取り始めたわけでもなく、すごい指導者の方が来たわけでもなかったですが、、、。府県ベスト16という偉業を成し遂げます。若造も知ったときの衝撃はすごかったです。しかしそのメンバーの中には、若造の学年についてきていた後輩や若造たちと入れ替わりで入ってきた子達が中心でした。弱小サッカー部でしかなかった部活が、府県の体育科のある高校が試合をやりにくるまでになったのです。そこには、若造たちによく説教していた顧問の先生がいました(笑)。
それから時はながれ、若造の母校はなくなります。それは決まっていることであり生徒の募集も停止されています。若造たちが過ごしたあの部室やサッカー部がなくなるのかと思うと残念でなりません。学校は、引っ越しをし名称を変えこれからできるらしいのですが、、、。様々な思いがあり言葉にできないです(泣)。サッカー部も人数が減り練習もままならないという話を聞いた時、なんとも、、、、。
最後に若造は、高校のサッカー部で10番を付けていました。それは、若造が希望したわけではなく、顧問の先生に渡されました。若造は、小学生からサッカーをしていましたが10番とは縁のないサッカー人生でした。それでも高校生活で10番という背番号を付け試合に出ていた思い出は未だにわすれられません。若造がコーチ?をやっている理由の一つが、若造のチームがなくなってほしくないからです。それは、若造のチームを卒団していった子や、いまいる子達が帰ってこれるようにしてあげたいからです。チビ造の時、年上の先輩に関わったあの時間を次は、若造が子どもたちに残していきたいと考えています。やはりチームの子どもたちが少なくなっていくに連れて、残っていく子の惨めな状態は、、、、、。なかなか厳しいことが多いですがなんとかしたいとこんな若造でも思っています。若造のコーチ?をやっているチームが続くことを願っている一人であり
、若造ができる範囲で力になれればと思っています。
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